north note.

なんてことないミリタリブログ、独断と偏見と趣味と好みとセンスのないチョイスで古いのから現代までの兵器に対し思ったこと調べたことを綴る。

Howell Automatic Rifle

 1918年銃器設計士のN.ハウエルはSMLE MkIIIの設計を元に半自動小銃にしたバリエーションを試作した。

 ハウエルの行った改造はSMLE MkIIIの銃側面にガスチューブを取り付けボルトハンドルが自動で動くよう溝にはめ込みピストルグリップを取り付けるというもので、装弾数は従来のクリップを用いる10発か20発のボックスマガジンのどちらかを使用できた。

 大戦中に設計されたハウエルライフルであったが当時はあまり軍部から関心が持たれず、関心が集まるのは1940年になってからのことである。生産はされなかったが過去に試作として少数生産されたものが本国の武器庫へと送られホームガードにより使用されたようだ。軽量で武器その物の性能は悪くなかったが対空射撃用とされていた。

 

このようなストレートボルトハンドルでもない普通のボルトアクションライフルが半自動小銃にされることは稀であり、ハウエルライフル以外の例は今のところ南アフリカのリーダーライフルとニュージーランドのチャールトンライフルのみである。

 

 

このブログに訪問してくださった皆様へ

 本日本ブログの総アクセス数が1500をついに突破しました。

 元はといえばこのブログ、筆者である私自身が日本語Wikipedia様やMEDIAGU DATABASE様で取り扱われていないマイナーもいいところな銃器を自分や私自身の友人用にまとめようと思ったのがきっかけでした。

 何故このようなことになったのかというとElectronic Arts™より発表されたBATTLEFIELD1™のヘルリーゲルが余りにも謎すぎて興味を惹かれたというのがあります。ヘルリーゲルに限った話ではありませんが本作品にはおおよそ日本では聞いたことのない銃が多数出ており中には日本語ページが存在しない銃もありました。

 そういったこともあって本ブログを立ち上げノート代わりとして記録し始めたのです。(なのでブログ名はnorthnote)

 ほぼ月一回の更新であったり、扱う内容がマイナーすぎて普通の検索では引っかからない中、多数の方が訪問してくださったのはとても嬉しいことであり、ブログのネタ探しのモチベーションにもつながっています。本年の更新はこれで最後となりますが、2018年もどうかこのブログをご愛願いただければ幸いです。

 最後になりますが、このブログで記事を作成する際にお世話になったForgotten Weapons様と海外の銃器関連の様々なサイト様にこの場を借りて感謝申し上げます。

Meunier M1916

Meunier M1916ライフル

 1894年からフランス軍はセルフローディングライフル(セミオートライフル)の試作や試験を開始し、数ある試作品の中から1897年にエティエンヌ・メニエ氏が設計したSTA-A1に目をつけ同国初のセルフローディングライフルとして試作が開始された。

最初の試作モデルは装弾数8発で試験的に6x58弾を使用していたが、1909年に本格的にフランス政府より歩兵向けのセルフローディングライフルが要求されると、1910年に発表されたSTA-A1の改良モデルである同氏設計のSTA-A6が正式に採用されることが決定し1911年から1912年までテストされ、評価は極めて良好だったという。翌年よりメニエA6ライフルとして採用されるに至り、1913年に限定的に生産が開始されたが、戦争の脅威が迫り他の銃火器の需要が増したためWW1直前に製造が終了してしまった。

その後1916年にメニエM1916として再び生産されることになったが、構造がより簡易で8x50mmRルベル弾を使用するRSC1917の製造が始まったため製造ラインが切り替えられ約1000挺の生産をしたところで生産終了となってしまった。

僅か1000挺でありながら前線へ配備されたメニエM1916であったが、初期のセミオートマチックライフルの欠点である汚れへの弱さや構造の複雑さ故の整備の難しさが問題となり評価は芳しくなく、弾薬はフランス陸軍が共通で使用していた8x50mmRルベル弾ではなく本銃に合わせて設計された7x57mmメニエ弾を使用するため補給の面でも不便さが目立った。

結局RSC1917にその座を譲ってしまったメニエM1916であったが、15発のボックスマガジンを備えたカービンモデルが試作されていたようだ。

めっちゃかっこいい

 装弾数は5発、作動方式はロングリコイル方式である。 

 

W.A.R

W.A.R(Winchester Automatic Rifle)はB.A.Rを置き換えるためにウィンチェスター社が開発したセレクティブファイア方式の自動小銃である。

B.A.Rは言うまでもない傑作であるが、欠点がなかったわけではなくそれを解消した後継銃の開発が要請され同社で開発したG30M及びG30Rライフルの設計を流用し設計開発された。

W.A.Rは.B.A.Rに比べ生産コストが低く、軽量で目立った欠点もなくここまま行けばB.A.Rから完全に置き換えられる予定であったが、最初の試験モデルが完成したのが1945年の夏だった為戦争に間に合わず、戦後の軍事費削減のあおりを受け、結局置き換えられることも採用されることもなく、大量生産されることはなかった。

 

使用弾は.30-06弾で20発装填のボックスマガジンを使用した。

発射レートは毎分600発である。

Smith & Wesson Model 1940 Light Rifle

S&W M1940軽量ライフルは1939年にイギリス政府の要望により制作された軽量ライフルである。

1939年6月28日に送られた要望を元に試作され、ロイヤルスモールアームズファクトリーへ試作品を引き渡しテストが開始されたが、S&W側の使用弾の想定が9x19mmの民間用弾だったのに対し軍用弾でテストしたため強度問題が発生し、わずか1000発を発射したところでレシーバーが損傷してしまった。

その後設計の見直しがなされ5000発程度の発射でも十分耐えうる強度を確保した。

英国陸軍は前者をMk1、後者をMk2として採用し950挺を調達したが、生産効率が悪かったためこれ以上生産されることはなかった。

第二次世界大戦終了後イギリスのモデルは大多数が海へ投棄された為、現在はロンドン塔にある5挺しか現存していないという。

一方本国のほうでは約1227挺が生産され、セレクティブファイア方式に変更する案も出たが実現しなかった。

使用弾は9x19mmパラベラム弾で装弾数は20発、重量は4kgと重めであった。

 

余談となるが本銃はエジェクションポートがマガジン挿入口の後部に設けられており、覆われていることもあってジャムの判断や対処が非常に困難だったという。

マガジンを挿入している後ろ側にエジェクションポートがある。

全く何考えてんだか

M2 Hyde

 

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M2ハイドは1935年にアメリカの銃器設計者ジョージ・ハイドが設計したサブマシンガンである。

1935年に特許取得のためデザインを提出し1942年4月にプロトタイプが引き渡されアバディーン試験場でテストされた。

結果、M1トンプソンよりも耐久性に優れておりフルオート時の命中精度も他のサブマシンガンよりも優れていた。

その後1942年4月に改良されたモデルのハイド-インランドM2がトンプソンの代用として採用されインランドにより最初のモデルが生産された。

しかしM1カービンの生産集中で余裕がなくなった為マーリンファイアアームズにより1943年5月に164450挺の委託生産の契約が交わされた。

だがM3グリースガンの採用により交わされた契約が同年に取り消されてしまい、大規模な量産はされることがなかった。

 

使用弾薬は.45ACPで装弾数は20~30発とされ、トンプソンのマガジンが流用された。

発射レートは560rpmである。

 

MAS 54

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MAS 54はフランスがMAS49/56の代用品として開発したアサルトライフルで、3つのバリエーションがありカービンバージョンはブルパップ方式を採用していた。

弾薬は7.62x51mmNATO弾を使用し装弾数は20発だった。

しかし本銃は金属が多様されており総重量が重く取り回しが悪く、後にFA-MASへ置き換えられてしまった。