north note.

歴史に埋もれた兵器を発掘 更新は1ヶ月に一度を予定してますが扱うものがものなので不定期になることアリ ※ネタがある場合はメールにて教えてくれると幸いです。ostfront1915@gmail.comまでご連絡下さい。

ショーシャ機関銃のバリエーション

 今日ショーシャ機関銃といえば悪名高い欠陥銃として有名であるが、そんな銃にも色々なバリエーションは存在した。

 

ãChauchat Sutter Mle1911ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 まずショーシャの試作品に当たるショーシャ=シュターMle1911軽機関銃がある。この機関銃は使用弾薬や作動方式、装弾数はショーシャと同じであるが、外見的特徴としてマガジンが上部にあることが挙げられる。

発射レートは200~300RPMとこれもショーシャとほぼ同じである。

 

関連画像

 その後1913年に全体を切り詰めコンパクトにしたモデルが作られ、ショーシャMle1913と名付けられた。

諸々の性能は派生元と同じだがこちらは航空機へ搭載され使用されていたようである。

「Chauchat mle1913」の画像検索結果

航空機に取り付けられたMle1913

この2つを経て現在我々の知るCSRG Mle1915が誕生するのだが、この続きは後編にて・・・

 

Zielgerät 1229

1944年にドイツ国防軍は赤外線を用いて夜間の視界を確保する暗視装置の開発に着手した。そこで開発されたのがZielgerät 1229、今日ではヴァンパイアの名で知られている暗視スコープである。

アクティブ方式の為赤外線投射装置を利用し赤外線の光のみを出力するため相手の体温等で索敵をすることはできず、装置から投射された光のみが頼りであった。

実戦投入は1945年2月でありNachtjägerと呼ばれる部隊にStG44に取り付けられ運用された。

しかし初期のこのような装置の例に漏れず取り回しが悪く、スコープ本体で2.25kgの重量があり、さらにはバッテリーは外部に背負って持ち歩かねばならなかった。赤外線投射装置用の物で13.5kg、他に画像出力用の小型のものがあり総重量はかなりのものだった。

Sturmgewehr 44 (StG 44) And Zielgerät 1229

 

 

Howell Automatic Rifle

 1918年銃器設計士のN.ハウエルはSMLE MkIIIの設計を元に半自動小銃にしたバリエーションを試作した。

 ハウエルの行った改造はSMLE MkIIIの銃側面にガスチューブを取り付けボルトハンドルが自動で動くよう溝にはめ込みピストルグリップを取り付けるというもので、装弾数は従来のクリップを用いる10発か20発のボックスマガジンのどちらかを使用できた。

 大戦中に設計されたハウエルライフルであったが当時はあまり軍部から関心が持たれず、関心が集まるのは1940年になってからのことである。生産はされなかったが過去に試作として少数生産されたものが本国の武器庫へと送られホームガードにより使用されたようだ。軽量で武器その物の性能は悪くなかったが対空射撃用とされていた。

 

このようなストレートボルトハンドルでもない普通のボルトアクションライフルが半自動小銃にされることは稀であり、ハウエルライフル以外の例は今のところ南アフリカのリーダーライフルとニュージーランドのチャールトンライフルのみである。

 

ãhowell automaticãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

このブログに訪問してくださった皆様へ

 本日本ブログの総アクセス数が1500をついに突破しました。

 元はといえばこのブログ、筆者である私自身が日本語Wikipedia様やMEDIAGU DATABASE様で取り扱われていないマイナーもいいところな銃器を自分や友人用にまとめようと思ったのがきっかけでした。

 何故このようなことになったのかというとElectronic Arts™より発表されたBATTLEFIELD1™のヘルリーゲルが余りにも謎すぎて興味を惹かれたというのがあります。ヘルリーゲルに限った話ではありませんが本作品にはおおよそ日本では聞いたことのない銃が多数出ており中には日本語ページが存在しない銃もありました。

 そういったこともあって本ブログを立ち上げノート代わりとして記録し始めたのです。(なのでブログ名はnorthnote)

 ほぼ月一回の更新であったり、扱う内容がマイナーすぎて普通の検索では引っかからない中、多数の方が訪問してくださったのはとても嬉しいことであり、ブログのネタ探しのモチベーションにもつながっています。本年の更新はこれで最後となりますが、2018年もどうかこのブログをご愛願いただければ幸いです。

 最後になりますが、このブログで記事を作成する際にお世話になったForgotten Weapons様と海外の銃器関連の様々なサイト様にこの場を借りて感謝申し上げます。

Meunier M1916

Meunier M1916ライフル

 1894年からフランス軍はセルフローディングライフル(セミオートライフル)の試作や試験を開始し、数ある試作品の中から1897年にエティエンヌ・メニエ氏が設計したSTA-A1に目をつけ同国初のセルフローディングライフルとして試作が開始された。

最初の試作モデルは装弾数8発で試験的に6x58弾を使用していたが、1909年に本格的にフランス政府より歩兵向けのセルフローディングライフルが要求されると、1910年に発表されたSTA-A1の改良モデルである同氏設計のSTA-A6が正式に採用されることが決定し1911年から1912年までテストされ、評価は極めて良好だったという。翌年よりメニエA6ライフルとして採用されるに至り、1913年に限定的に生産が開始されたが、戦争の脅威が迫り他の銃火器の需要が増したためWW1直前に製造が終了してしまった。

その後1916年にメニエM1916として再び生産されることになったが、構造がより簡易で8x50mmRルベル弾を使用するRSC1917の製造が始まったため製造ラインが切り替えられ約1000挺の生産をしたところで生産終了となってしまった。

僅か1000挺でありながら前線へ配備されたメニエM1916であったが、初期のセミオートマチックライフルの欠点である汚れへの弱さや構造の複雑さ故の整備の難しさが問題となり評価は芳しくなく、弾薬はフランス陸軍が共通で使用していた8x50mmRルベル弾ではなく本銃に合わせて設計された7x57mmメニエ弾を使用するため補給の面でも不便さが目立った。

結局RSC1917にその座を譲ってしまったメニエM1916であったが、15発のボックスマガジンを備えたカービンモデルが試作されていたようだ。

めっちゃかっこいい

 装弾数は5発、作動方式はロングリコイル方式である。 

 

W.A.R

W.A.R(Winchester Automatic Rifle)はB.A.Rを置き換えるためにウィンチェスター社が開発したセレクティブファイア方式の自動小銃である。

B.A.Rは言うまでもない傑作であるが、欠点がなかったわけではなくそれを解消した後継銃の開発が要請され同社で開発したG30M及びG30Rライフルの設計を流用し設計開発された。

W.A.Rは.B.A.Rに比べ生産コストが低く、軽量で目立った欠点もなくここまま行けばB.A.Rから完全に置き換えられる予定であったが、最初の試験モデルが完成したのが1945年の夏だった為戦争に間に合わず、戦後の軍事費削減のあおりを受け、結局置き換えられることも採用されることもなく、大量生産されることはなかった。

 

使用弾は.30-06弾で20発装填のボックスマガジンを使用した。

発射レートは毎分600発である。

Smith & Wesson Model 1940 Light Rifle

S&W M1940軽量ライフルは1939年にイギリス政府の要望により制作された軽量ライフルである。

1939年6月28日に送られた要望を元に試作され、ロイヤルスモールアームズファクトリーへ試作品を引き渡しテストが開始されたが、S&W側の使用弾の想定が9x19mmの民間用弾だったのに対し軍用弾でテストしたため強度問題が発生し、わずか1000発を発射したところでレシーバーが損傷してしまった。

その後設計の見直しがなされ5000発程度の発射でも十分耐えうる強度を確保した。

英国陸軍は前者をMk1、後者をMk2として採用し950挺を調達したが、生産効率が悪かったためこれ以上生産されることはなかった。

第二次世界大戦終了後イギリスのモデルは大多数が海へ投棄された為、現在はロンドン塔にある5挺しか現存していないという。

一方本国のほうでは約1227挺が生産され、セレクティブファイア方式に変更する案も出たが実現しなかった。

使用弾は9x19mmパラベラム弾で装弾数は20発、重量は4kgと重めであった。

 

余談となるが本銃はエジェクションポートがマガジン挿入口の後部に設けられており、覆われていることもあってジャムの判断や対処が非常に困難だったという。

マガジンを挿入している後ろ側にエジェクションポートがある。

全く何考えてんだか