世界初のセレクティブファイア式オートマチック銃とは?
今日民間用を除けばほとんどの銃はセミオート/フルオートの発射機構切り替え方式(セレクティブファイア方式)を採用している。しかし最初にこの機構を採用したのは一体どの銃なのだろうか?
実際のところ19世紀から研究は進んでいたが過度の弾薬消費の懸念と機構の大型化による重量増加や技術的問題による信頼性不足によりなかなか実現に向かうことがなかったという。
そんな中イタリアのアメリゴ・チェイ=リゴッティ将軍により設計され100挺程生産されたチェイ=リゴッティライフルが世界で最初の歩兵一人が扱えるセレクティブファイア方式採用のライフルと言われている。チェイ=リゴッティは10発か20発のボックスマガジンか50発のドラムマガジンを使用でき6.5x52マンリヒャー・カルカノ弾か7.65x53マウザー弾を使用した。発射レートは最大で900だったと言われているが、資料によりマチマチである。
チェイ=リゴッティは試験射撃で300発を発射したところ排熱による問題が発生しイタリア軍に採用されることはなく、イギリスも興味を示し発注したようだか途中で性能不足と判断され契約を打ち切り、結局採用されることはなかった。
その後BARやMle1915、フェドロフM1916等のセレクティブファイア方式の銃が本格的に登場したあたり、時代が追いついていなかった銃と言えよう。
最初の半自動小銃
世界最初の半自動小銃はモンドラゴンという説が通説だったが最近はそれが誤りであるということがわかった、実はデンマークのマドセン M1888が最初の半自動小銃ということが判明した。
M1888は要塞での定点防衛を想定していたが、実際に50挺が生産され送り込まれたのが通常の戦場だった為に構造の複雑さから動作不良が問題視されたという。(初期の半自動小銃の例に漏れず汚れにとても弱かったのだ)
M1888は実銃が残っているものの構造がよくわかっておらず、謎銃の一つである。
その後開発されたのがマドセンM1896でこちらはしっかりとデンマーク軍に採用されたが海軍等への少数配備にとどまっている。コストが高く大量配備には向いていなく、半自動小銃というカテゴリーがまだ軍に理解されてなかったのだ。
史上初の半自動小銃である本銃は輸出も考えられていたようだがコストの問題で結局実現しなかった。
その後これらの銃をベースにマドセンM1902が設計され、各国で50年以上使用される傑作機関銃となった。
ショーシャ機関銃のバリエーション 後編
前回は試作品から有名なmle1915までを紹介したが今回はその後のバリエーションについて紹介する。
フランスの兵器は欧州へ参戦したアメリカ外征軍へ付与されたがショーシャもその例に漏れずアメリカ軍へと付与された物の一つで、アメリカの.30-06弾を使用できるように仕様変更されたモデルが導入された。
それがこのショーシャM1918だが、今日語り継がれるほとんどのショーシャ機関銃の悪評は本銃の評価によるものである。
元々フランス軍の8x50Rルベル弾企画で設計されているので.30-06弾とは相性が悪く、薬室の寸法違いから来る排莢不良の多さや弾薬の発射エネルギーに耐えれず故障するなどあり、アメリカ軍ではM1918はほぼ使われることがなくオリジナルのMle1915が使用されたと言われている。
次はドイツ軍が鹵獲し8x57マウザー弾へ対応するために改造したモデルで、この奇妙な形のマガジンは元の半円型のマガジン接合部へ合わせる形で作られたと言われているが、詳しいことはわかっておらず、謎多き銃の一つである。
他にも中国軍で試作のベースにされ、こちらは7.92x57マウザー弾に対応したものであったようだ。※資料が余りにも少ないため割愛
ショーシャ機関銃のバリエーション
今日ショーシャ機関銃といえば悪名高い欠陥銃として有名であるが、そんな銃にも色々なバリエーションは存在した。
まずショーシャの試作品に当たるショーシャ=シュターMle1911軽機関銃がある。この機関銃は使用弾薬や作動方式、装弾数はショーシャと同じであるが、外見的特徴としてマガジンが上部にあることが挙げられる。
発射レートは200~300RPMとこれもショーシャとほぼ同じである。
その後1913年に全体を切り詰めコンパクトにしたモデルが作られ、ショーシャMle1913と名付けられた。
諸々の性能は派生元と同じだがこちらは航空機へ搭載され使用されていたようである。
航空機に取り付けられたMle1913
この2つを経て現在我々の知るCSRG Mle1915が誕生するのだが、この続きは後編にて・・・
Zielgerät 1229
1944年にドイツ国防軍は赤外線を用いて夜間の視界を確保する暗視装置の開発に着手した。そこで開発されたのがZielgerät 1229、今日ではヴァンパイアの名で知られている暗視スコープである。
アクティブ方式の為赤外線投射装置を利用し赤外線の光のみを出力するため相手の体温等で索敵をすることはできず、装置から投射された光のみが頼りであった。
実戦投入は1945年2月でありNachtjägerと呼ばれる部隊にStG44に取り付けられ運用された。
しかし初期のこのような装置の例に漏れず取り回しが悪く、スコープ本体で2.25kgの重量があり、さらにはバッテリーは外部に背負って持ち歩かねばならなかった。赤外線投射装置用の物で13.5kg、他に画像出力用の小型のものがあり総重量はかなりのものだった。
Howell Automatic Rifle
1918年銃器設計士のN.ハウエルはSMLE MkIIIの設計を元に半自動小銃にしたバリエーションを試作した。
ハウエルの行った改造はSMLE MkIIIの銃側面にガスチューブを取り付けボルトハンドルが自動で動くよう溝にはめ込みピストルグリップを取り付けるというもので、装弾数は従来のクリップを用いる10発か20発のボックスマガジンのどちらかを使用できた。
大戦中に設計されたハウエルライフルであったが当時はあまり軍部から関心が持たれず、関心が集まるのは1940年になってからのことである。生産はされなかったが過去に試作として少数生産されたものが本国の武器庫へと送られホームガードにより使用されたようだ。軽量で武器その物の性能は悪くなかったが対空射撃用とされていた。
このようなストレートボルトハンドルでもない普通のボルトアクションライフルが半自動小銃にされることは稀であり、ハウエルライフル以外の例は今のところ南アフリカのリーダーライフルとニュージーランドのチャールトンライフルのみである。
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元はといえばこのブログ、筆者である私自身が日本語Wikipedia様やMEDIAGU DATABASE様で取り扱われていないマイナーもいいところな銃器を自分や友人用にまとめようと思ったのがきっかけでした。
何故このようなことになったのかというとElectronic Arts™より発表されたBATTLEFIELD1™のヘルリーゲルが余りにも謎すぎて興味を惹かれたというのがあります。ヘルリーゲルに限った話ではありませんが本作品にはおおよそ日本では聞いたことのない銃が多数出ており中には日本語ページが存在しない銃もありました。
そういったこともあって本ブログを立ち上げノート代わりとして記録し始めたのです。(なのでブログ名はnorthnote)
ほぼ月一回の更新であったり、扱う内容がマイナーすぎて普通の検索では引っかからない中、多数の方が訪問してくださったのはとても嬉しいことであり、ブログのネタ探しのモチベーションにもつながっています。本年の更新はこれで最後となりますが、2018年もどうかこのブログをご愛願いただければ幸いです。
最後になりますが、このブログで記事を作成する際にお世話になったForgotten Weapons様と海外の銃器関連の様々なサイト様にこの場を借りて感謝申し上げます。